京料理とは?食文化の背景や歴史を振り返る

京料理とは?食文化の背景や歴史を振り返る

お昼時、街で飲食店を探していると、京料理専門店や、京会席などと書かれた看板や風情ある建物を見かけることはありませんか?この京料理という言葉を見て、「どのような料理を京料理と呼ぶのだろう?」と思ったことは、ないでしょうか?

京都を発祥とする料理なら、なんでも京料理となってしまうのでしょうか。それとも、日本の郷土料理のことを京料理と呼ぶのでしょうか。今回は、日本を代表する京料理とは、どのような料理なのか、その食文化の背景や歴史を振り返りたいと思います。

 

京料理ってなに?

京都へ観光すると日本料理や会席料理が楽しめる割烹や料亭で京料理という言葉をよく目にします。京料理という言葉は、よく見聞きするものの、その実態については知らない方も多いかもしれません。ここでは、京料理とは、どんな料理を指すのか、その概要や特徴について見ていきましょう。

どのような「料理」を指すのか

京料理とは、京都の長年の歴史によって形成された日本料理の五体系の総称のことです。日本料理の五体系とは、主に下記の料理を指しています。

・大饗料理(だいきょうりょうり)
・精進料理(しょうじんりょうり)
・本膳料理(ほんぜんりょうり)
・懐石料理(かいせきりょうり)
・有職料理(ゆうそくりょうり)

これらは、京都でも代表的な料理であるため、テレビや雑誌などでも見聞きしたことがあるかと思います。京料理は、多くの料理で「出汁(だし)」を使って調理されています。そして、美しいお皿への盛り付けや配膳、お客さまの好みに合う趣向を整え、「おもてなしの心」をもって提供される料理です。京野菜などの食材や出汁を使い、伝統的な調理法でつくられた料理を、京料理とよびます。

京都を代表する五体系

京料理には、前述のとおり、五体系と総称される料理があります。それぞれの特徴は、次のようなものです。

大饗料理(だいきょうりょうり)

大饗料理は、日本の朝廷に仕える貴族や上級官人が、天皇を接待していた公家社会において発展した料理です。貴族の社交儀礼の中で、宴会料理として大きく発展してきました。大饗料理は、食材の切り方や寸法、盛り合わせを重視した調理法を基本としています。食材への味の付け方は、塩や酢、醤油など、非常にシンプルで、素材本来の味を活かした料理が、客人に提供されていました。

精進料理(しょうじんりょうり)

精進料理は、宗教上、殺生が禁止された寺院社会で発達しました。野菜を中心とする料理として古くから親しまれており、大豆や煮物などの植物食材を工夫しておいしい料理を作ります。大豆を使って「肉のような食感と味を出す」というのも、お手の物です。

尚、現代の大豆の加工技術は、精進料理よって築き上げられています。生では食べられない大豆を、豊富な地下水を使って調理するなど、調理方法を工夫することで、保存が効きやすい栄養豊富で優れた料理へと発展しました。

本膳料理(ほんぜんりょうり)

本膳料理は、室町時代の武家の礼法をもとにして発展しました。食事をとる行為に、儀式的な意味合いが強く根ざされており、現代では、冠婚葬祭に用いる料理として親しまれています。

本膳料理は、本膳・二の膳・三の膳から成り立っており、美しい料理が一度に並べられる料理です。まさに目と舌で味わう料理といえます。

懐石料理(かいせきりょうり)

懐石料理は、町人や武家たちの間で、わび茶の様式や思想の影響を受けて発展しました。一般的には、茶事や茶会の席で提供されています。

空腹状態で濃茶を飲むと、お茶の味がわからず、充分に楽しむことができないといったことがあっていけないため、懐石料理がもてなしの料理としてふるまわれました。

尚、懐石料理の「懐石」とは、温石を懐に抱いてお腹を温めることで、空腹をしのぐ料理、という意味合いから懐石と呼ばれています。

有職料理(ゆうそくりょうり)

有職料理は、昔、公家や朝廷、幕府で働く人たちが御所風料理として楽しんだという歴史が残っています。そもそも、「有職」という言葉には、朝廷や武家の儀礼・官職・行事などの儀式や作法に従うという意味があります。

有職料理は、茶懐石や精進料理、おばんざいなどの町方料理をベースに作られており、宮中での節会(せちえ)の料理として、もてなされました。

京料理には、四季がある

旬で彩りの美しい食材を利用する京料理には、日本の春夏秋冬が感じられる季節のエッセンスが豊富に取り入れられています。ここでは、季節ごとにふるまわれる京料理について見ていきます。

春の京料理

春になると京都は、お花見スポットへと大きく変貌をとげます。京都には、桜の名所が多数存在し、その美しい光景を求めて日本人や訪日外国人が、京都中の観光地を訪れます。これは現代に始まったことではなく、京の都の頃から変わらない姿です(外国人の姿は近年になって、ですが)。

京の都を訪れる観光客に対してふるまわれるのが、春の野菜であるタケノコやワラビ、ゼンマイなどの山菜料理です。春の訪れが感じられるタケノコご飯はとてもおいしい料理で、これは今も昔も変わりません。

しかし、タケノコご飯といえども、料理する人によって味が変わります。基本的には、タケノコと一緒に油揚げを入れ、出汁を少量入れることでタケノコの香りを引き出すという、料理人による「うま味の引き出し方」にひと工夫が感じられる料理です。

他にも、タケノコは、ワラビやゼンマイなどと一緒に煮ることで、自然の食材に含まれる春の息吹が感じられる料理へと変身します。京都の土壌と気候風土、豊かで新鮮な水で育った春の京野菜は、独特の香りや味、色彩を有しています。

夏の京料理

京都の夏の訪れを教えてくれる主役の食材は、なんといってもハモではないでしょうか。夏の京料理のメニューには、数多くのハモ料理が並んでいます。新鮮なハモ特有の爽やかな味わいは、京都の夏の到来を感じることができる一品です。

新鮮なハモは、湯引きされ、梅肉で食べるのが一般的です。

他にも、お吸い物や蒸し料理など多様な料理に、京都の夏の味覚として使用されます。ハモは、非常に生命力の強い魚で、水からあげても24時間以上、皮膚呼吸で生き続けるといわれています。心臓が止まっても臓器が長く生き続けるその強い生命力に、京都の料理人が着目し、料理に使用するようになりました。食材を冷蔵保存する技術がなかった時代は、早く痛んでしまう食材は、使いにくかったのです。

ハモは、小骨が多いので、一寸の間に24回包丁を入れる骨切りという技術を用いて処理しなければ、食べることはできません。処理の難しいハモをおいしく食べるために、骨切りという技術を生み出したのは京都の料理人です。

他にも、京料理には、初夏のアユや、味噌などと一緒に調理される賀茂茄子などの食材が、よく使われています。また、料理を盛り付けるお皿には、京都の笹の葉や氷、涼しさを表現するガラスなどが用いられており、味覚以外にも目でも楽しめる工夫が施されています。

秋の京料理

日本の秋を代表する食材といえば、松茸です。京都でも秋になると、数多くの松茸料理が提供されます。松茸ご飯や焼き物、天ぷら、土瓶蒸しなど、松茸はさまざま料理に使われており、貴重な食材として丁寧に調理されてきました。

また、秋になると栗料理や子持ち鮎なども、京料理の代表的な食材として使われます。特に、栗の甘みが感じられる栗ご飯や栗の渋皮煮は、秋料理を楽しみに京都に訪れる観光客の舌を楽しませています。

そして、お皿には、紅葉を用いることで、あでやかなあしらいが施されます。

冬の京料理

日本の各地に雪が降り始めるころ、京都では、フグ料理やカニ料理が観光客にふるまわれます。猛毒をもつフグも、ふぐ処理師が適切に調理することで、フグ刺しや鍋料理、雑炊、白子焼などの数々の料理が楽しめます。

他にも、京料理の冬を彩る野菜としてカブ等の根菜類が多く用いられます。そして、お皿には、日本の椿などの冬を代表する花や草が美しく飾られ、粉糖を雪と表現する工夫が施されます。食材以外にも、料理に込められたおもてなしの心が感じやすい季節だといえるでしょう。

京料理の歴史を振り返る

京料理は、非常に長い年月をかけて、食文化や調理法を築き上げてきました。その歴史を遡れば、ルーツは奈良時代にあったようです。ここでは、どのように京料理が発展してきたのか、その歴史を順番に振り返ります。

奈良時代~平安時代

京料理のルーツは、奈良の都にあります。当時、奈良の都に住んでいた人たちは、非常に食にうるさく、貴族や役人の人達があれこれと書いていたという記録が残っているそうです。奈良時代は、魚介類を干物として食べていましたが、それと同時に割鮮(かっせん)がよく食べられていました。

割鮮とは、刺身のことです。つまり、昔から新鮮な刺身の味を楽しむ文化があったということです。この時代に、食材の切り方や盛り付け方が発達し、様式化していくようになりました。

その技術は、現在の京料理にも生きており、その伝統的な調理技術が継承されています。平安時代には、「包丁式」と呼ばれる儀式が行われるようになりました。また、中国から豆腐やコンニャクの製法が伝来したのも、この時代だといわれています。

鎌倉~戦国時代

鎌倉時代に突入すると、食文化は、大きな変化を迎えることになります。それは、宋に留学した栄西や道元などの禅宗が日本に伝えられたことによって、精進料理が広まったことによります。精進料理はもともと、殺生をしないという宗教の教えにより、植物食材を用いて料理が作られたことは、前述のとおりです。決して豊富とは言い難い食材を、さまざまな調理法で調理することで、いくつもの「味」を楽しむ、という文化が生まれたのです。当時の寺院には、「典座(てんぞ)」と呼ばれる、食事を作ることを主な役割とする僧が居たといわれています。

その結果、京料理の核ともいえる「出汁」の文化が、大幅に発達しました。この頃から、ある調理道具が用いられるようになります。その調理道具とは、すり鉢です。

すり鉢が普及したことで、みそがすられ調味料として一般庶民の間で使われ始めました。その結果、みそ汁や和え物、煮物、田楽などのみそ料理が数多く誕生するようになります。

これまでの京料理の調理技術が、やがて武家へと継承され、精進料理などの技術が組み合わさり、形をかえながら日本各地へ広がっていきました。

一方で、戦国時代になると茶道の文化が発達し、客人たちをもてなすために、懐石料理が考案されました。

江戸時代

江戸時代には、日本各地で多様な料理が発展していきました。懐石料理や本膳料理といった料理の形式にとらわれず、数多くのアレンジされた料理が世の中に送り出されるようになります。他にも、宴会や会食などで提供される会席料理も登場し、次第に庶民の間にも広がっていきました。

他にも、京料理を語るうえで欠かせないのが、仕出し料理(しだしりょうり)です。仕出し料理と聞くと、最近の料理のスタイルのように感じる方もいるでしょう。しかし、仕出し料理の歴史は、非常に古いのです。

昔の日本は、結婚式を自宅でおこなっていましたが、普段の家族よりもかなり多い客人へふるまうには、自宅の台所だけでは賄いきれず、仕出し料理へのニーズが高まりやがて、一般的なものとなっていました。のちに、江戸時代には、屋台の文化が誕生し、お寿司屋や蕎麦、おでんなどが庶民の間で広がりをみせるようになります。

発展のカギを握るのは「水」だった!?

京都に限らず、日本という土地は、豊富な水資源に恵まれています。新鮮でおいしい水は、京料理にも深い影響を与えています。日本料理には、“引き算による調理法でおいしさを引き出す”という基本的な考え方があり、このような考えが自然と生まれたのは、日本の水がおいしいからだと、いわれています。

また、京都は豊富な地下水に恵まれた土地で、その硬度(こうど)の低さから昆布のうま味が出やすいことが知られています。他にも、その豊富な水で作られた新鮮な京野菜は、栄養豊富さと昼夜の寒暖差により、他の産地の野菜よりも群を抜いたおいしさがあります。

京野菜に、余計な味付けは必要ありません。少しの塩とうまみだしに醤油を加え、食材本来がもっているおいしさを損なわないように上品に味付けされます。

もし、京都に豊富な水がなければ、これほど多くの食文化が発展することはなかったでしょう。

歴史を振り返ると見えてくる、これからの姿

京料理には、非常に長い歴史があります。現在、京料理は、京都府無形文化財に指定され、国内外問わず注目を集めています。こうした京料理の歴史や食文化は、誰でもが知り得ることではありません。

京料理の歴史はこれからも続いていきますが、これまでの歴史に恥じないような料理の技術や文化を、後世にわたって継承していく必要があります。

京都調理師専門学校は、和食の本場である京都にあります。そして、授業の中では、京野菜を利用します。講師の指導のもと、少しずつ勉強を重ねていけば、京野菜がもつうま味や風味を引き出す調理技術を習得できるでしょう。いつか、講師や地元の人たちを驚かせるような「新しい京料理」が生み出せる料理人に、生徒の皆がなってくれることを、一同心から願い応援しています。

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